伝説の男が今よみがえる――。昭和後半から平成初期に競馬界を席巻した天才ジョッキー・田原成貴(61)が長い沈黙を破り、本紙の独占インタビューに応じた。
華麗な手綱さばきと常識を覆す騎乗、その破天荒な言動で強烈なインパクトを残したが、21世紀初頭にこつぜんと姿を消した。その後、田原はどんな人生を歩んできたのか。覚醒剤取締法違反による逮捕の裏には何があったのか。栄光と転落のすべてを激白し、生まれ変わった“ニュー田原”を初公開した。
【田原成貴騎手JRAG1全勝利集】
――なぜ今、取材を受ける気になったのか
田原成貴:最近、よく周りの人に「みんな心配してるよ」って言われていてね。そんな時に東スポさんから話を頂いた。だから、今回の取材のテーマは「ドゥ・ユー・リメンバー?」。皆さん、僕を覚えていますか? 元気でやっていますよ! 心配してくれた方へ感謝の気持ちを伝えたくて、今回は出ることにしました。
――語りたくない過去もあると思いますが
田原:いや、気を使って質問しないのだけはやめてほしい。聞かれたことには全部答える。いいも悪いも全て自分がやったことだからね。ただし、暴露みたいなのは嫌だ。自分以外のことで墓場まで持っていかなきゃならないこともあるからね。
――なぜ覚醒剤に手を出したのか
田原:騎手を引退し、調教師になってから歯車が狂っていった。騎手時代は問題が起きても真摯に馬に乗っていれば良かったが、生き方がヘタで、白黒はっきりつけないと気が済まない性格の俺は調教師になってからはそれができなかった。調教師として生きていく上ではグレーでもクロでも受け入れないといけない。でも俺には無理だった。理想と現実がかい離していき、その虚無感を埋めるために越えてはいけない線を越えてしまった。
――その後も2回、同じ過ちを犯した
田原:競馬界にいた時に解決できなかった問題を思い出すと心が痛んだ。自分を捨て、破滅したいと思うようになった。そうしないと申し訳が立たないと思った。思うだけじゃなく実際にそういう行動を取った。一度越えてしまうと、あとは際限がなくなってしまった。恐ろしいことに、ダメになっていく自分を俯瞰しながら楽しむようになった。気がついたら遮断機が下りて出れなくなった。
――壮絶な苦しみだったのですね
田原:でもこんなふうに言うと調教師の時の逮捕も、辞めてからの逮捕も言い訳がましくなっちゃう。ひきょうだよね。要はバカだったんですよ。面白がってやってたんですよ。クスリやるヤツなんてやってる時はそんなもんですよ。苦しいことや理不尽なことなんて誰にでもある。クスリやって、それを言い訳にしちゃいけない。依存症は病気っていわれるけど、バカ言うな。最初の1回をやるから依存症になるんだって。だからクスリでパクられるのは誰のせいでもなく全部自分の責任。自分が悪い!
――でも、そこからよく立ち直れましたね
田原:立ち直ったのかね(笑い)。まあ分からないけど、もう悪さはしていない。育ててくれた谷八郎先生(元JRA調教師)には親不孝しっぱなし。わびてもわびきれない。それに迷惑かけた家内や娘や息子、(柳田)三千男や田原厩舎のスタッフのことを思うといつも心が痛む。だからこそ、今度こそちゃんと生きますよ。
――39歳で騎手を引退した理由は
田原:ケガもいっぱいして、自分の理想とするきれいな乗り方ができなくなったから辞めたんだ。美しい乗り方にはこだわっていたから。しがみつけば、あと5、6年はできたと思う。でも俺はそういうのは嫌だった。例えば今の騎手は最新のトレーニングをしてるらしいけど、俺はそんなことしてまで勝つのは面倒くさいし、カッコ良くないって思っていた。
――マヤノトップガンとナリタブライアンの名勝負(96年阪神大賞典)の話を聞きたい
田原:これは今の若い競馬ファンでも知っているかな。みんな伝説のマッチレースとかいって今でも取り上げてくれるけど、僕にとっては消したい過去なんだ。ほんの少し、ひと呼吸だけ仕掛けが早かったんだ。ひと呼吸待てば勝っていた。ふた呼吸待てばクビ差で勝っていたよ。あのレースは覚醒剤より後悔しているね(笑い)。
――96年スプリンターズS、ゴール前でフラワーパークの頭を押し込んだ“神騎乗”も有名だ
田原:あれは押したんじゃなく、逆に引いているの。ギューッて引いてパッと離したら、反動で戻るでしょ? 直径10センチのテニスボールをギューッと握って離すと10・1センチになる。フラワーパークの最後の1ミリは、引いたことによって出た1ミリ。馬は押しちゃダメなんですよ。今の騎手は押してばっかりだからダメ。押す力の倍、引けばいいんですよ。
――さすがです。ぜひ、来週の有馬記念の予想を
田原:まあ実際、有馬は3回勝っているからね。お任せください!
【1993年有馬記念 トウカイテイオー奇跡の復活】
【馬の才能を開花させた男の今】取材当日、田原はスーツ姿で東京駅に現れた。「よろしくお願いします」。深々と頭を下げた。現役時代と変わらぬ体形。競馬界の玉三郎と言われた端麗な顔立ちは健在だが、その目は新たな決意に燃えていた。
田原は現在、経営難に陥ったレジャーホテルや飲食店の再生、開業支援などを行う辣腕コンサルタントでアートプロデューサーの飯島由加里氏に師事。かつて数々の馬の才能を開花させた男は今、ビジネス界で事業再生の一役を担っている。「50歳にして初めて社会を知った。学ぶことばかりでね」。身にまとったスーツは飯島氏からの贈り物。「まっとうに生きる」という約束の証しだ。
仕事で配る名刺には肩書や社名はおろか、連絡先すら書かれていない。白地に「田原成貴」とだけ。「お互いここから始めましょう」。そんな意味を込め、巡り合った相手と真摯に向き合う。不器用なほど一直線に生きてきた男。第2の人生は今、ゲートが開いたばかりだ。
☆たばら・せいき=1959年1月15日生まれ。島根県出身。78年に谷八郎厩舎所属騎手としてデビュー。同年28勝で関西新人賞、翌79年に64勝を挙げて関西リーディングジョッキーに輝き天才騎手と呼ばれる。
93年12月の有馬記念でトウカイテイオー騎乗で優勝。GI通算15勝。98年2月に騎手引退、調教師に転身。
2001年10月に覚醒剤取締法違反で逮捕され調教師免許剥奪。09年10月、10年9月にも同容疑で逮捕。懲役2年2月の実刑判決で服役。13年5月に刑期を終えた。
どうしても「また何かやりそう」とは思ってしまう。
感動した
「手綱を放す騎乗」って有名な話しですね。
でも、調教師さんだけでなく、
騎手だってグレーなところを認めなければならない場面があるじゃない。
競馬は馬主さんあってのものだから
それは仕方ないと私は思いますけどね。
もちろん他の騎手も美学を持ってるんだろうけど田原は勝っても納得してない節があった。
自分自身に納得がいかないからクスリに手を出してしまったんだろう。
清原も自分のはバッティングができない苛立ちで手を出してしまったと言ってた。
歳を取って拘りが薄れたのと手痛い人生のしっぺ返しを食らったので治療がうまくいけていれば良い人生を送れるはず。
確かに調教師の判断であれば、調子が悪く出ても勝てなくて次のレースまでに影響があると踏んだのかと思ったりもしたが、ちょうどそのころは薬やってるジャンキーだったんだよね。
のちにわかったが、オーナーとしては腹立たしいどころの話ではなかったでしょうね。覚せい剤やってるやつに決められたくないでしょうから。
技術だけじゃない、瞬間的な閃きと感性は本当に凄かった
それだけに、あの事件は惜しまれる
二度と同じ過ちは犯さないで、競馬界を盛り上げてもらいたい
こうやって表舞台に出てきてくれて嬉しいです
トウカイテイオーの復活の有馬記念でこの人を好きになりました。
格好よかったー
今は馬が目立つ時代やけど当時勝った馬よりもこの人田原成貴が常に目立ってた
それだけのインパクト、スター性を持っていたね
けど、凄いですよね。有馬3勝だし、その内一つはトウカイテイオーのもの。
調教師になってからも破天荒でしたけど、調教師みたいなトップに立つポジションは合わなかったのかな。
もちろん覚醒剤は駄目、絶対!
亡くなった清水せいしゅんは「田原はロックバンド以外は有り余る才能がある」って言われてたのが印象的でしたね。
浜中俊なんて本当良い騎手なのにG110勝に届いてないのに田原は15勝もしてるし。
それと岡部幸雄さんや安藤勝己さん武豊と名ジョッキーも調教師にはなりたがらない。グレーやブラックな部分は有力な騎手とかほど目に見えてしまうのだろうなぁ。
昔タヤスツヨシだったかな?その頃自分は競馬してなかったけどダービー出走する時人気してたけど関係者からダメだ!今回はと耳にしてレース観てたら惨敗した事があった。
自分はスダホークとのコンビとか好きでした。
勿論あの有馬のトウカイテイオーも鳥肌が立った。
華のあるジョッキーで今こういう騎手は居ないね、
刃物持って空港で捕まった話が聞きたかった。
あと、タヴァロックのCDってもう売ってないのかな、
今更ながら聴きたいと思う。
ていうけど、この人は変人。
覚醒剤で捕まった頃は傍から見てもあっ…やってるな…って感じだったもん
さすがにもう堂々と表舞台に立つことは無いんだろうけど本当に華があるジョッキーだった
ただもう少し突っ込んだ質問して欲しかった。騎手時代の話は自伝で語ってるし、田原や競馬ファンなら空白に何してるか?が気になる所でしょ。
勿体ない…
大嫌い
忘れられたフサイチゼノン騒動
この辺りに田原の胸のうちを察する。
何も蘇らないし、競馬界に汚点を残した一人。
道は踏み外したが、元に戻ろうと努力する事を否定したり馬鹿にする必要はない。
頑張って下さい。
ほんま天才と言う言葉しか当てはまらん。
クールに見えて、熱い漢でした
あの性格だから調教師なんて続かないと思っていたら薬物という形で終わることに
久しぶりにお顔を拝見できてよかったです
今後のご活躍も楽しみにしています
天才肌の騎手であったと思うから、見ていてワクワクする騎乗だったので惜しいなと思いますね。
昔は分からないけど、今の馬主との関係を考慮すると調教師はサラリーマン的でないと経営するのは難しいでしょう。その点で田原には向いてなかったのかも。
もし、福永騎手が事故に遭わずに騎手を続けていたら、田原騎手とのリーディング争いが見られたでしょうね。
田原騎手の追う姿、本当に綺麗だった。
今の騎手の多くが「トントン乗り」してるけど
見習って欲しいは。
武や横山典を天才と言うが
本当の天才は「田原成貴」
後にも先にも田原騎手ほど華のある騎手はいない。
やっぱり俺の中ではマヤノトップガンとのコンビ。
長手綱でピタリと折り合い、先行させたと思いきや
次のレースでは後方に控えたりと。
あとは、小倉競馬場によく行ってたけど
田原騎手が乗って人気してたシマノヤマヒメの小倉大賞典。
確か2番人気位だったけど惨敗。(もちろん買いました、外れました)
次走、土肥騎手が乗って中京記念(小倉開催)を勝利。
土肥騎手も好きな騎手だったので、嬉しいかった。
前走の惨敗で人気も落ちてたし(もちろん買いました、当たりました)
長々となりましたが、今後も田原さんの姿が多く見られますように。
安否確認が出来て良かった。
現役引退後のことにはただただ残念だったし失望した。
それでも今どうしているんだろうとずっと気になっていたから、今回の記事で更生されて頑張ってらっしゃっているのを知り嬉しくなった。
これから昔の競馬のこと、今の競馬のことなどたくさん語ってほしい。
田原さんの騎乗に魅せられて以降、競馬の魅力にどっぷり浸かっています。
このまま無事に進んで欲しいですね。
97春天の二頭が抜け出し併せ馬になったところを外に出し一気に抜き去る姿は20年以上経った今も鮮明。
過去は消せないけど、エンタメ化した現代競馬を見届けていただきたいと思います
と思って、フサイチゼノンを調べたら存命でしかもアメリカで種牡馬になってた。
そっちに驚いた。
そして鞍上は田原成貴。
時には逃げ、好位に付けて差し、はたまた追い込んでのレース。
未だに競馬のベストコンビです。
歳をとった田原成貴の騎乗を観たかったな、って。
しびれて 震えるのは 田原成貴だね
怪我をしなければ二千は越えていたな。
腐っても田原成貴
吹雪の中、フレッシュボイスで勝った毎日杯が印象的
華のある男だったな
元気で何より
数々の名勝負、名騎乗リアルタイムで見てたな。
ワンダーパフュームしかりファイトガリバーしかり。
調教師になり今では当たり前の馬にGPSつけたりして大問題についてなったけど最先端を取り入れたりしてたよな。
時代やね。
田原さんと清水さんの話し面白かった
人間くささの田原劇場に感動が渦巻いた
その後の薬は余計だったが
ジョッキー田原は優れものだ
ミホノブルボン逃げ切りのダービーで、
最後の直線でのライスシャワーに馬体を併せたマヤノペトリュースの騎乗。
壮絶な叩き合いでした。
プロの世界に生きて
競馬だけしてれば良い。
野球だけしてれば良い。
引退後の虚脱感。
今のプレイヤー達に対する
感想。
似ているなぁ。
でも今、前向きに、相変わらず愚直なくらいまっすぐな感じにやってらっしゃるみたいで良かった。
おかしいと思ったらそれを言う、もうちょい言われた方もそれを受け止めてディスカッションしながら進めていくような土壌が競馬界にも入ってくるといいなぁ。
サルノキングは強かった。
実際はどうだったんだろうか聞きたかった。
持っていかれるかどうか絶妙なところで馬の行く気に任せた騎乗は唯一無二でしょう
トップガンが負けた時でも、田原さん、坂口先生のコメントはいつも潔く、カッコ良かった。
個人的にはマヤノトップガンやトウカイテイオー辺りも印象深いが、マックスビューティとのコンビも印象深い。彼が拘っていた"美しい騎乗法"の最高潮期だった様にも感じた。
岡部幸雄氏や安藤勝己氏らの様に調教師以外で競馬界に携わるポジションがもっと早く確立していれば、あそこまで転落する人生にはならなかったかも知れない。
本当に"華のある"騎手だった。今後も良い人生を送って行って欲しい。
確か漫画家の本宮ひろきさんが身元引き受け人だったと思うが、どうなったんだろうか?
腕のある乗り手でした。
洋一さんに近いものを感じたのは、豊よりもこの田原ですね。
昭和58年の有馬記念でのリードホーユー
自ら動いて逃げるハギノカムイオーを潰し
そのまま押しきった会心のレースでした。
良くも悪くも話題にのぼることが多かったジョッキー。サルノキング逆噴射、サンエイサンキュー坊主騒動、トウカイテイオー涙のインタビュー、ファイトガリバーの投げキッス・・・・・
今改めて考えてみると、己の信念を曲げることができなかった人なのかなと思う。不器用で下手くそな生き方と言えばカッコよく聞こえるが、弱くて脆い部分があって情けない生き方とも言える。
過去のことはどうあれ、真摯に反省して再起をかける姿勢には応援したいと思う。本人はもう望んでいないかもしれないが、ファンとしては競馬界のお仕事にまた携わってる姿もみてみたい気持ちもある。これからも頑張ってほしい、ただただそれを願うばかりです。
この人は間違いなく天才であった
だからこそ紙一重でもあったけどね
子供の頃見たスダホークが自分の中では最初の芦毛
確か天皇賞だったかなぁ
いちいち格好良いんですよね
書かれてないところではワンダーパフュームの桜花賞の後は「だから言ってたじゃん(勝てるって)!誰も信じないんだもんな」が好きでしたね
トップガンの有馬の十字切って投げキス→インタビューで「メリークリスマス」もさすが
結果は案の定…。当時、なかなか骨のある騎手だなと思ったのを思い出す。それだけに後々の不祥事は残念でならなかった。
今、この人が競馬界にいたならどうなっていただろうか…まあまあ面白い存在だっただろう。