ジョッキーにとって「アブミ」は極めて重要な仕事道具。しかし、武豊曰く「30年前から何も変わってないし、俺もそんなに気にしたことなかった……」。それが昨秋、 ゴルフクラブブランド「MUQU(ムク)」のアンバサダーとして名古屋の工場を訪れた際に、ふと閃いた! 「そんなに気にしたことはなかったとはいえ、どこかで気にはなっていた。何とかならないかな?」と。
2019年9月下旬、それは突然やってきた。
武豊:「アブミって知ってる? 馬に乗る時に足を乗せるヤツなんだけど……。このまえ行った名古屋の工場でさ……。作れないかな? と思って」
10月中旬行われたゴルフクラブ「MUQU」のアンバサダー契約記者会見に先立ち、密かに自分のアイアン作りの現場を訪ね、工場見学していた武豊騎手。
武豊:「人生で初めて。こういうモノ作りの現場を見たけど、凄いですね(笑)なんか、こうやってできていくんですね……。なんか工芸品みたい」
ミクロン単位で削り出す技術と、コンピュータ管理された最新設備に驚きを隠せない。
筆者・小林はゴルフがメインのジャーナリスト・スポーツプランナーであり、武騎手とは、もう20年近くの付き合いになるが、競馬に関する相談、依頼を受けたことは一度もない。当たり前だ、競馬がメインじゃないことは、彼も百も承知である。
筆者がMUQUアイアンを初めて目の当たりにした時、その匠の製法とプライスに驚愕したことを、ある食事の席で武騎手に話した。そこからMUQUアンバサダーへ話は進むのだが……。
もしかすると、あの時、武騎手は違う目線でMUQUの製造現場を見ていたのかも知れない。そう思ってしまう閃きと想像力、あくなき探究心に、冒頭の電話を覚えている。
小林:「多分作れると思うのですが、わたしは分からないので(笑)。MS製作所(MUQUアイアンの製造メーカー)にすぐに聞いて折り返します」
武豊:「作るって言うか……。ずっと気になる箇所があって、それを直したいのもそうだけど、自分オリジナルっていうか、言葉じゃ上手く言えないけど、30年乗ってきて、やっと見えてきた理想の形があるのよ」
MS製作所の副社長であり、MUQUアイアンの陣頭指揮を取る迫田邦裕氏に電話すると、その日はすぐにつながった。というのも、迫田副社長にはもう一つの顔があり、心臓カテーテルなど循環器内科の医師でもあり、全国を飛び回って執刀をしている。
小林:「あの……、スミマセン、MUQUじゃないんですが、今、武さんから電話で、“アブミを作れないか?“という相談です、どうですか…」
迫田:「アブミ……って、スミマセン何ですか?」
知らないのも無理はない、一般社会であまり使う単語ではない。筆者のありったけの知識を副社長に説明した。
迫田:「作れます! 金属製品なら何でも作れますし、こういうチャレンジがしたいです! トップアスリートの、しかも世界を知る人のモノ作り、何かドラマみたいですね」
即答だった、心なしか声が弾んでいた。モノ作り大国ニッポン、と昭和の時代から言われ続けているが、今はどうだろう……。製造現場は海外に移転し、その間、失われた技術や職人、そして継承が止まった。迫田副社長もその一人なのかも知れない。
3代目として幼少期を過ごすも、自身は医学の道へ、そして今、二足のワラジで生活し続けること3年、改めて、モノ作り現場へ戻ってきた。MUQUアイアンのストーリーを熱く語る迫田氏を思い出した。
迫田:「モノ作りを何とかしたい、価値あるモノ、Made in Japanの底力を見せたい」
非製造業に従事したから見えた外からの景色がある。そして、冷静かつ客観的に、日本の製造業の置かれている現状もわかっている。しかし、チャレンジしないことには何も変わらない。
すぐに電話を折り返した。
武豊:「ほんと!良かった。じゃあさ、今、家にあるアブミの何パターンか先に送るから」
武さんの声も同様に弾んでいた……。
武豊:「コバ(武さんは筆者をそう呼ぶ)さ、ちょっとメモって。親指の部分のさ……、アーチのカーブが……、体重を乗せる時に……、踏む面積が……」
ダメだ。筆者も、乗馬を趣味でやっているが、コワイ。稀代の名騎手から、商売道具でもあり、命を預けるパーツを電話口で聞いて、ちゃんと理解できるのか・・・…。それにしても、アブミって……、そんなに重要なパーツなの? 違いがあるのか?
武豊:「体重が全部乗っかるのがアブミだし、踏み方と言うか、乗り方の好みで違うのよ……。外人ジョッキーは、また全然違う形状だったり」
小林:「武さん、コレだけは! って言う注文と言うか、製造ポイントみたいな……」
武豊:「モノとして壊れちゃダメ、絶対に!」
確かに。例えは悪いが、自転車で立ち漕ぎで全力ペダル中、そのペダルが外れたら(壊れたら)ヤバいと思った。
筆者の不安さを感じた武豊は、「OK。じゃあさ、直接説明した方がいいから近いうちにまた名古屋に行くよ」と言う。
小林:「ちなみに武さん、今使っているアブミってどこで作られているんですか?メーカーとかは?」
武豊:「それがメーカーは分からん(笑)。 トレセン(栗東トレーニングセンター)の馬具屋さんに聞いたんだけど、どーも台湾製なんだよね」
えっ? 思わず電話口でつぶやいた。
武豊:「でしょ? そう思うでしょ。俺もそうだけど、俺らジョッキーみんな、たぶん何十年も当たり前で使ってきたけど、(川田)将雅にもそれとなく聞いたら、僕はこの部分がちょっと気になります、とか、みんなやっぱりこだわりっていうか、今の(アブミ)に違和感を感じてはいたね」
小林:「MUQUのフィッティングの時に、工場を見たじゃないですか……。あんな感じで削り出しのイメージですか?」
武豊:「う~ん、細かいこと(製法やプロセス)は分からないけど、あのクオリティで、日本のモノ作りで、Made in Japanでできたら良くない?」
その電話、(凱旋門賞に騎乗するための)フランスに渡航する何日か前であった。ふと、外の世界から長年武豊と向き合ってきて、思うことがあった。今回、その一端にチャレンジできるかも……と。
“凱旋門賞に日本馬が勝つことが、日本競馬界の悲願だ“との記事をよく目にする。さらに欲を言うと、その瞬間、ジョッキーも日本人であって欲しい。そして、そのジョッキーが、武豊ならなおの事である。
競馬ジャーナリストではない筆者には、その後の社会での盛り上がりや、一般ニューストップとして、競馬を知らない人へ訴求できる無二の人だと思うから。競馬はやったことなくても、武豊の名前は知っている。顔も知っている。
競馬はギャンブルではあるが、違う側面として、また文化として、日本にも馬社会が育って欲しいと思うし、そのアンバサダーは武豊なんだとも思う。
小林:「今年の凱旋門賞は間に合いませんけど(笑)、来年、このアブミでチャレンジできると良いですね!」
武豊が「夢」と公言する凱旋門賞に向けて、乗り手が自由に選べる唯一のアイテムが馬具であり、それを一から作ることができるとなると、ゴルフ、野球、サッカーなど他のプロアスリートと同じ土俵にやっと立てるのだ。
凱旋門賞から帰国後、秋の国内G1レースに騎乗し、10月下旬に米国での騎乗に向けて再び海を渡った武豊。その間、MS製作所はと言うと、先に送ってもらったアブミを3Dスキャンし、解析と分析を行うチームが動いていた。
米国から帰国し、すぐに電話が鳴った。
武豊:「見てきたよ、向こう(米国)のジョッキーのアブミも。やっぱり、いろいろあるね、こだわりって言うか好みというか」
小林:「やっぱり、芝質の違いとか、砂の違いとかあるんですかね?」
武豊:「どうなんだろね。(馬の)追い方の違いとかもあるだろうし。でも分かったのは、みんな気にしてはいるけど、そういうもんじゃないの? 的な感じでもあったかな……」
小林:「ある意味、アスリートの道具として見た場合、騎手の道具って、あまり昔から進化をしてないって事ですかね?」
武豊:「……かも知れないね」
スポーツジャーナリストとして、素直にこう思い、言った。
小林:「だとしたら、もったいないですね」
続けて、現在のアブミプロジェクトの進行状況を説明した。
すると武はこう言った。
武豊:「今、実際にレースで使っているアブミを持っていくわぁ。で、2ヵ所、気になる部分があるから……来週、また名古屋で!」
トップアスリートが「道具」にこだわるのは必然であり、自らの肉体の進化とともに、自らが探し求めなければいけない。
しかし、過去に、その要望に応じられる(応じてくれる)会社がなかった。
その要望を出すジョッキーもいなかった……。かの武豊が既製品をそのまま使っていたとは驚きだ。
レースを走るのは馬だ、しかしその馬を操るのはジョッキーである。
まだまだやることはある。騎手として、まだまだやれることはある。武豊として。
世界のレジェンドジョッキーが、名もなき町工場と挑む世界への道。
日本馬が世界へ挑戦するのと同じく、日本人がオール日本製馬具で挑戦する。
30年の時を経て、その挑戦は、いま始まったばかりだ。
参照元URL:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200121-00010004-goethe-spo&p=1
プロフェッショナル仕事の流儀とかで見てみたいよね
この違和感をどこまで埋められるか、埋めた後どれだけ成績に反映されるかはわからないが
1mmの差で周りを大きく巻き込んで帰るのが競馬
賞金もそう、実績もそう、馬券を買った人の人生も、競走馬やスタッフのその後もそう
競走からのデータ取得は難しいからこそ一世一代の名騎手の感覚を今現役のときにデータ化してほしい
確かエアロユニフォームをアメリカから持って来たのも豊ジョッキーでしたよね。
一流は道具にも拘られますね。
そしてその部分に疑問を持ってすぐに行動にうつす。
長年トップジョッキーでいる訳がこういう所にあるんでしょうね。
騎手道具(馬具)も蹄鉄とかは凄い進化してるからてっきり進化してると思ったら既製品だったとは。
面白い記事でした。次も読みたい。
武豊クラスでも既製品を使ってるとはその方がびっくりした。
武さん含め一流ジョッキーほど鐙を踏む面積ってほぼ親指と母趾球辺りだけで小さいと思いますが、よくあれだけでバランス取れるなといつも感心してしまいます。私はやってみて無理でしたw
追う時も膝から下がブレないからカッコイイ!
どんな形なんだろう?むちゃくちゃ興味あって楽しい記事でした。ありがとうございます!
続編も期待しています。
興味深い記事ですので次も期待しています。
ある意味自分の命を預ける部分だし、そこの改良で更に騎乗技術や成績の向上に繋がれば、との思いなのでしょう。50歳過ぎてなお向上心を持ち続ける、素晴らしい事です。今なおトップジョッキーなのが頷けます。
続きが気になりますね~
レジェンドの道具への拘りとか興味のわく話です。
みたいな感じではないんだ??
新型アブミが完成して勝ちまくまったら、ヴェイパーフライみたいに偉い人たちに目をつけられて、規制する??みたいになっちゃうのかしら。
さすがゲーテ!
目のつけどころが秀逸!!
アブミにも進化の余地があるんですね!
ナイキの厚底靴が話題になってるけど、それらを使いこなせるのは、アスリートの技術と技量があってこそ。職人の技術の進化を妨げてはいけないと思う。
テンポが良くて読みやすいし、武さんのあの喋り方もイメージ出来て(天才的な閃きと、ちょっと天然なところも)、とても興味深い内容でした。
早く続きが読みたいです!
過程をレポートした本にしてもいけそう
今後の進展も、記事にして頂きたい。
この方のような武豊ジョッキーの周辺者が何人か集まって執筆した「武豊の拘り」みたいな本が出ないかなあ。競走馬でも道具でも競馬場でも何でもいい。
次が読みたい️
そして豊さんの競馬に対する向上心の凄さも。
名古屋のどこにあるんだろう?
すごく気になります。
確かに、騎手一人一人体格は違う、もちろん足の大きさ、形なんかも違うはず。騎乗スタイルも違えば、馬もそれぞれ違う。
現実的に可能かどうかは別として、突き詰めていけば1鞍ごとに変わっても不思議じゃない部分ですもんね。
今後の展開にも期待して注目してます!
プロアスリートが道具にこだわるのは、必然で、ユタカさんが「これっ」と言った鎧ができた時にどう変わるのかワクワクする!
ワクワクする
馬に対するアタリも変わってくるでしょうしコントロールし易くなるのかな?
こういう考えも含めて第一人者なんですね。
いい番組が作れる。
読み応えありました。
ただ鐙が台湾製とは意外でした。
鐙以外でウェアとか馬具の特集とかもして欲しいな。
ドキュメンタリー番組にならないかな。
凄い瞬間に立ち会えてる気がする。
素人からしたら角度1mmとか違わなくない?とか思うけど、感覚かわるとか聞くし
馬具も人それぞれで変わるのかもしれない
記事としてはこれでいいけど、もっと細かいところも含めて一冊の本にしてもらいたいくらい。
鐙(あぶみ)だけじゃなくて、例えば鞍とかももちろんルールの中ではあるという前提で固定概念もっていないところで一からつくってみるのいいよね。
鞍なども形や大きさが違うとか?
そう考えると馬具すべて、騎手の好みがあると思う。
その中の「鐙」だけが既製品で騎手それぞれの好みではなかったということにびっくりした。
「鐙」だけで世界をとれるとは思わないが乗りやすさは格段に上がるのだろうとは思う。
下町ロケットではないけれど、日本の技術力・品質のために頑張ってほしい。
そして、いずれは世界中の競馬場で使われるようになるという夢を見せてほしい。
企業もニッチな分野で利益という部分は望めないかもしれないが、その筋の第一人者から直接依頼を受け、成功したら技術力の証明にもなる。
これは追い掛けて欲しい案件。
後他の道具に関してもオーダーメイドするなら、追っかけて欲しい。
武のアブミの踏み方は他の人とは変わってるらしいからね。